浦和の歴史


浦和の歴史・浦和のルーツ


JR浦和駅西口からすぐ(改札正面)にある「うなこちゃん」
江戸時代からの伝統の味「浦和のうなぎ」をPRするために誕生したマスコット『浦和うなこちゃん』。
キャラクターの作者は、アンパンマンで有名な 故やなせたかしさんです。
もともと浦和は沼地でうなぎがよく獲れたことから、うなぎ料理店が多く、うなぎの町とも言われています。
「浦和」という名前の由来
縄文期、東京湾の水が入り込み市域の半分以上が海面下で、人々が住み始めたのは1万数千年前からだそうです。
中山道あたりまで海が入り込んでいたため、湾曲した浦の意・「浦曲」が転じた説もあり、貝塚も多数発見されているそうです。
また、うらわ、という言葉は水辺の曲がりくねった様子を指し、当時入間川の、水利が悪く曲がりくねっていた状態を指す地名だった、という説があるそうです。

浦和は古くから大きな戦乱がなく、平和な町だったようです。



調(つきのみや)神社 伊勢神宮に献上する調を納める倉を境内に建て、武蔵・総国の初穂米と調の集納・運搬所としたとされています。
(「調」とは絹や麻などの繊維製品もしくは地方特産品)
 


玉蔵院にある地蔵菩薩が人々の信仰を集め、門前町が形成される。



月待ち信仰が盛んになり、調(つきのみや)神社が崇められ、さらに人々が集まる。
「つき」という その音から「ツキ」に恵まれる神社として信仰される。また「ツキ」を「月」にかけたことによる月待信仰により、狛犬ならぬコマウサギがいる神社。



2と7の付く日に市場が開かれており、町が賑わう。(二・七市場
徳川家康・秀忠が浦和に鷹狩りに訪れ、御成御殿(浦和御殿)(休憩所)(現在の常磐公園)を置く。
1591年 徳川家康が玉蔵院に十石の寺領を寄進する。

二七市の跡



江戸時代、中山道は江戸と京都を結ぶ重要な道路として整備された。
浦和に中山道の宿場町 浦和宿ができる。(江戸日本橋から3ツ目の宿場町)本陣や問屋がおかれ、宿場町として繁栄。
寛永期に紀伊徳川家が御鷹場を置く
1728年 見沼代用水が完成。(徳川吉宗の名で利根川から60キロに渡り引水)
1731年見沼通船堀が開通する。(日本初の閘門式運河)
十返舎一九が浦和の市場の賑わいを歌で残す。 

見沼通船堀



1869年 浦和宿に県庁が設置され、浦和県が成立
1871年 (明治4年)浦和県が忍県(埼玉県行田市)、岩槻市と合併し、埼玉県となる。浦和宿は、県庁所在地となる。
1874年 埼玉大学教育学部の前身 師範学校が設立
1876年 埼玉県が入間県と合併し、現在の埼玉県となる。
1878年 師範学校校舎として風翔閣が建設される。
1883年 日本初の私鉄、日本鉄道の上野~熊谷間が開通し、浦和駅ができる。
1885年 日本鉄道 大宮駅が開通。
1889年 (明治22年)浦和宿は、県庁所在地となり、明治22年に浦和町となる。
     行政・教育・文化の上でも県中心地となる。
1893年 明治26年 浦和地方裁判所(現・さいたま地方裁判所の前身)が、
     現在の常盤公園の場所に建設され、現在も当時の赤レンガ堀が残っている。
1895年 現在の埼玉県立浦和高等学校ができる。
1900年 現在の埼玉県立浦和第一女子高校ができる。



1912年 与野駅できる。
1923年(大正12年)の関東大震災後は、地震の災害が少なかったこと、首都圏から
      20キロメートルの至便性などから、住宅地としての評価が高まり、多くの文化人が
      移り住み、特に「鎌倉文士と浦和画」といわれ、多くの芸術家が活躍しました。
 1925年 関東大震災からのがれた東京の盆栽業者が多く移住し、
     盆栽村ができる。 

1932年 東北本線 赤羽~大宮間完成。(現在の京浜東北線
1934年 昭和9年、市制施行により、浦和市となる。
1936年 北浦和駅できる。
1949年 新制埼玉大学設置
1961年 南浦和駅できる。
1973年 武蔵野線開通。東浦和駅西浦和駅開通。
1975年 自動車の大宮ナンバー交付。
1980年 東北自動車道 浦和IC~岩槻IC間開通
1981年 浦和 伊勢丹が開店
1985年 埼京線開通。武蔵浦和駅中浦和駅できる。 

1992年 サッカーリーグ浦和レッズダイヤモンズのホームタウンとなる。
1995年 浦和市の人口が、埼玉県で1位となる。
1998年 Jリーグ大宮アリディージャが大宮市のホームタウンとなる。
2001年 埼玉高速鉄道 浦和美園駅できる。
2001年 平成13年5月大宮市与野市浦和市が合併し さいたま市となる。
2002年 サッカーワールドカップの会場となる。
2003年 平成15年4月にさいたま市が政令指定都市へ移行し、浦和区が誕生。
2005年 岩槻市さいたま市と合併
2007年 浦和パルコ開業  

武蔵野線開駅式
 昭和48年武蔵野線開業に伴い、南浦和駅のホームで開駅式が行われました。南浦和駅は京浜東北線と武蔵野線が交差する交通の要衝となりました。

焼米坂
大正4年頃の焼米坂の写真。
江戸時代の旅人もこんな風景を見ていたかもしれません。
奥には人力車らしきものも見ることができます。



浦和駅近く 中山道 浦和宿の史跡めぐり地図
浦和区の歴史

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