礼拝アーカイブス2014年3月


陽暦3月29日の週報


主礼:佐保田暁夫 教会長
「 私たちの現在の立場と責任 」

「 天一国經典天聖經第十二編天一国 第四章天一国のビジョンと責任
第三節 天一国時代の私たちの責任 P.1365-3 」

真のお父様は、「基元節」を私たちにとって最も重要な日として宣布してくださいました。「基元節」のために、「神様王権即位式」から十二年間、多くの摂理的な活動をしてこられたのです。偶然に、簡単に訪れた日々ではありません。神様が復帰摂理をされながら選民思想を立て、準備してきた国がイスラエルです。 イスラエル民族は、救世主が来るのを待ちました。救世主が来れば、すべてのことが解決されると期待しました。その救世主が華やかに来ると思ったのですが、彼らは蕩減というものを知りませんでした。復帰摂理歴史には責任があるのです。その責任を果たせなければ、蕩減が伴います。この時代においても同じです。



陽暦3月22日の週報



主礼:佐保田暁夫 教会長
「 人類の希望 」

「 天一国經典天聖經 第二篇 真の父母 第4章 真の父母と真の子女 
第3節 真の父母の真の愛・真の生命・真の血統 P.225-4 」

本然の神様の愛と、本然の真の父母の愛を中心として、本然の血統の歴史をつないで生まれたのが、本然の「私」です。その私を取り戻せば、そこには真の父母と、真の父母の愛があります。神様の愛から私が始まったので、私を取り戻せば、私の中には、既に二つの本然の愛が植えられているのです。それが根となっています。私を神様から離してしまうことができず、真の父母から離してしまうことができません。その肢体であるので、そういう自らを否定できません。
細胞のようなものを見れば、葉の細胞を剥がしても、根の細胞を剥がしても、同じです。最近は、細胞を繁殖して、植物を繁殖させますが、それと同じです。葉にも根の要素が、すべてあります。神様の愛と真の父母の愛は、宇宙のすべての主管性の核です。主体性の永遠の標準です。愛を中心として、すべて主管しようとするのです。



陽暦3月8日の週報


天一国食口礼拝
天一国三年天暦1月18日(陽暦3月8日)

主礼:谷口昇平牧師
「 基元節2周年を越えて 」

「 迫害する者の為に生きれば、迫害した者の福が私のものとなるであろう 」
安副局長激励文

私たちはみ旨の道を歩む中で、辛く難しい時がたくさんありました。なぜなら、世の中の人の考える基準と信仰者の持つ基準が違うからです。信仰者と世の中の人が同じ場所で同じものを見ても、感じ方が違い、考え方が違う時がよくあります。世の中の人の基準だと到底理解できないことも、信仰に基づいた基準で考えれば理解できることがあります。例を挙げるならば、祝福家庭の方が亡くなれば、私たち地上に生きる者とすれば、聖和され霊界に旅立った日ですが、霊界から見るとその人がもう一度、誕生する日ですから笑顔で、喜んでその“旅立ちを”祝ってあげようとします。しかしながら、こういう話を世の中の人が聞けば、理解し難いことでしょう。信仰を持った立場で〝肉身の死〟について理解できていれば、亡くなった人の前で、また、その家族の前で笑うことが出来るし、霊界への入城に対してお祝いと祝福をしてあげることが出来るのです。世の中の人から、信仰者は誤解され迫害に遭ったりもしますが、その宗教の教理を知り、勉強すれば理解できるようになります。
 私は統一教会に入教した後で統一教会がありました。それでも〝伝道しなくては〟という思いで、証しをするでもなく、反対と迫害に直面するようになって訳もなく話をしてしまったという後悔と、私を理解してくれない友人に怒りを我慢できなくて、眠れない場合もありました。そうなると、友達も嫌いになり、憎むようになり、友達に会いたくなくなる時もありました。目に見えない神様と霊界を信じて信仰をすることは簡単なことではありません。一つの物事を信仰者の目で見るのか、もしくは一般人と同じ目で見るのかで、人生の方向と目的が違ってきます。信仰者は、神の心情に通じた信仰者の目で見る時、信仰が成長します。一方、反対・迫害する人たちは、世の中の目で、その基準で見て判断し、それを口実に自分たちの行動を正当化しようとします。真の父母様は私たちが信仰を持った者の目で見て、聞いて悟ることを願っておられます。真の父母様は信仰生活をしながら罵倒を浴びる時には、このようなみ言を思い出しなさいとみ言をくださいました。
「罵倒を浴びながらも彼の為に生きれば、彼の全ての福と彼の財産が自分の相続物になるだろう。アーメンですか? はい、アーメンです。大韓民国がどのくらい私に罵倒を浴びせたでしょうか? 大韓民国の学校がどれほど私に罵倒を浴びせたでしょう? 中高生の父母たちが私にどのくらい罵倒を浴びせたでしょう?」(305-298)
それで、罵倒を浴びながらも彼らの為に生きれば、彼らの全て福が私のものになるので、罵倒を浴びるのが好きになりなさい。そうすれば、どんなことでも善に向かっていけば失敗する人はいないだろうという内容を語っておられます。迫害を受け、罵倒を受けることが決して悪いだけのものではないのです。罵倒されるのは、その時は嫌かもしれませんが、しかし、そこに大きな福を相続する恵み深い側面を信仰者として深く悟る必要があるでしょう。
真の父母様は今が終末であり、この終末がただちに希望の日であるということを考えながら、精誠を捧げて来られました。このような生き方が真の父母様の生き方です。真の父母様は私たち祝福家庭がアベルの中のアベルになって、家庭と氏族と国家、世界の中心存在となっていかなければならないと語っておられます。天は私たちがカイン圏を抱いてアベルになるためには、反対と迫害を恐れないで大胆に怨讐を愛して、神の摂理の中心存在になってくれることを願っています。食口の皆様、真の父母様を中心として一つになって、世の中の人たちの基準で考えれば底理解できないことも、信仰的な基準で考えれば理解が出来るように信仰者の目と耳と口となって下さい。それで神様が願っておられ、真の父母様が願われる天一国をこの地に定着するために、私たちの責任を果たしましょう。





☆新規礼拝  
3月の予定(毎週火曜日)AM10:30~  
10日・17日・24日

☆ゆりばらの会  
3月の予定(毎週水曜日)  
11日・18日・25日

☆家庭講演会
 日時:2015年3月12日AM10:30~
 場所:浦和北教会

☆天運相続感謝特別還元祈願礼式
 日時:2015年3月18日
 午前の部:10:30~・

陽暦3月1日の週報


主礼:谷口昇平牧師
「 祝福の絶対価値と神氏族的メシヤの責任完遂 」

「 祝福の絶対価値と神氏族的メシヤの責任完遂 」より抜粋
祝福を受けた人は、イエス様以上の立場にいます。祝福を受けた皆さんを、サタンは讒訴(ざんそ)することができません。男性も女性も、すべて讒訴できないのです。なぜでしょうか。真の父母を中心として血統が連結されているからです。皆さんは世界的な蕩減路程を通過できていませんが、私は既に通過してきたので、その勝利した路程を、子女である皆さんに相続させてあげることができるのです。
(一八九‐一四七、一九八九・四・一) P.20~21
皆さんが原理のみ言を読んだ時、夜眠れずに、涙を流してみましたか。劉(ユ)協会長の素晴らしいところは、原理をすべてノートに記録しながら、一ページごとに涙を数百回も流したということです。知識人として、大学に通った頭の良い人間として、真理を探究することに疲れ果てていたところに、これ以上ないほどの深い世界を知るようになったので、涙を一滴や二滴ではなく、滝のように流したのです。
その真理に接したときに恍惚(こうこつ)となり、涙なしには記録できなかったというのです。一ページを記録するのに一週間かかったということを私は聞きました。

ですから、どれほど涙を流したか分かりません。本然の心情と通じることができる真理のみ言は、何度でも愛を爆発させる力をもち、その作用は実際に歴史を通して成就しているのです。
(一四一-七〇、一九八六・二・一六) P.80

私たちの地上生活が私自身の肉身だけのための生活になっては、永遠の世界に入り得る完璧な資格を備えることはできません。地上世界での生活は、父母様のみ言に従って真の愛を実践する生活にならなければならないのですが、そのような生活をする立場の人は、他のために生きなければならないのです。自分だけが祝福を受けて真の父母様を知っている位置にいてはいけないという話です。それで、真のお父様は、「神氏族的(しんしぞくてき)メシヤとして四百三十家庭を祝福しなさい」という最後の遺言を通して私たちを祝福してくださいました。これは祝福です。
(二〇一四・一一・二〇 真のお母様) P.130~131








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