礼拝アーカイブス



4月の礼拝

4月23日


天一国食口礼拝

東埼玉教区 書写奉納式
 場所:プラザウエスト多目的ホール



4月16日


天一国食口礼拝

主 礼:蔡 東朴教会長
「 趙(チョ) 誠一(ソンイル)世界本部長 講話 」

「 天地人真の父母様御聖婚57周年記念式 天一国5年天暦2月22日(陽4.10) 真のお母様のみ言 」

きょうは何の日ですか?喜びの日ですか?
四季の中では、万物が蘇生するのが春ですが、今日の人類、世界の情勢は、抑えることが出来ない不安と恐怖におののいています。まるで航海をしているのに船長もおらず、羅針盤もない状態です。一寸先も予測できない未来に、希望を見出せないこのような暗澹たる世界となってしまいました。一言で言えば、この世の真の主人がなすべきことを行えない立場に立っているということです。
しかし全知全能なる神様は、はじめと終わりが同じです。必ずや、神様はみ旨を成就されなければなりません。
父母となることのできる立場を前にして、再び来て、小羊の婚宴を行うと言ったため、天はその当時誕生させることができなかった独り娘の基盤、独り娘を誕生させることのできる民族を選ばなければなりません。それが光栄なことに韓民族です。
天の孤独で悲しい蕩減復帰摂理歴史は、韓民族を通して独り娘を誕生させました。今日の世界の人類は、絶望のなかから何かしら希望を探そうとしています。
きょうこの日は、あらゆる万難を克服し、原罪なく生まれた独り子と独り娘が天のみ意に従って小羊の婚宴を挙げた日です!
天には栄光、人類の前には喜びであり、願いであり、希望でした。しかし無知には完成はありません
真の父母によって祝福を受けた祝福家庭、皆さんが知らせなければなりません。教育してあげなければなりません。そのためには国家の復帰が切実です。この国が当面している南北の問題は、政治家たちをもってしては駄目です。思想をもってしても駄目なのです。解決することのできる方は、ただお一人、真の父母であられます!大小全ての国々が父母様を中心として、兄弟国として一つになる時、真正なる人類の平和が訪れます。
皆さんは摂理を知っています。これまで57年間にわたって教育を受けてきました。ですから皆さん祝福家庭には責任があります。真の父母様の顕現は国家的基盤の上でなされなければなりませんでした。それを思えば、皆さん!きょうもここまで、明日もここまでと中途半端に、名前だけで残ってはいけません。実績が必要です。ですから、私は「天一国族譜苑」をつくろうと思います。今日、祝福を受けた家庭が、過去、現在、未来の先祖の位置に立ちます。それは皆さんが決めるのです。皆さんの責任です。それでは、いかにすべきですか?国家の復帰に責任を持ちますか?
皆さんが当面している問題、氏族メシヤとなることも急務です。しかし今、この国が直面している問題を解決するためにも、皆さんは総進軍しなければならないのです。真の父母様を誇り、知らせ、教育すること!それが皆さんの責任です。わかりましたか?そのようにしますか?そのように決心するこの日となることを懇切に願います。


4月9日


天一国食口礼拝

【3地区インターネット礼拝】
説教者:宋 龍天総会長
司会者:南 炅誠教区長




4月2日


天一国食口礼拝

説教者:蔡 東朴教会長
「 2020vision勝利の為の 還元祈願礼式・礼拝 」

「 天一国經典天聖經 第八篇 信仰生活と修練
第二章 心と体の修練
第六節 心と体の統一のための生活 P.886~887 」


4信仰生活は副業ではありません。本業の中の本業です。人に会っても、「私」が会うその人に今、み言を伝えなければ、その人が帰る途中でどうなるか分からないのです。その人がほかの人でなく、自分の父母や兄や姉だと考えなければなりません。機会を逃したときは、「み言を伝えなければならないのに、私が忙しくて申し訳ない。いつかもう一度会いましょう」と挨拶だけでもして、条件を残していかなければならないのです。
5伝道は、生命を接ぎ木することなので、簡単ではありません。それで、一人についても精誡を尽くすのです。皆さんは、一生をかけて、何人に精誡を尽くしてみましたか。自分のために精誠を尽くしてくれる人が多いといって誇ってはいけません。精誠を尽くす人は福を受けますが、精誠を尽くしたものを受ける人は、福を受けられません。ですから、私が精誠を尽くしてあげなければなりません。精誠を尽くしてあげたのに、彼が言うことを聞かないと寂しく思ったり、悲しいと考えたりしてはいけません。天理の原則がそのようになっていると思いなさいというのです。そのようにできる人は絶対に悲しんだり、寂しく思うことがありません。
6伝道は、出産するのと同じです。先生が経験してみると、一人の人を自分の息子以上に信じることができる人にするためには、息子を生むより三倍の努力が必要だというのです。伝道した以後にも責任をもたなければなりません。ほかの道に行った人が再び戻るには、衝撃的な感動を受けて涙を流すか、自分自ら悔しさや無念さを感じるか、今まで感じることができなかった心情が爆発する出来事が起こらなければならないのです。
7伝道は誰のためにするのでしょうか。神様のためにし、人類のためにするのですが、「私」の息子、娘のために、そして私のためにするのです。私たちのためにするのです。ですから、誰も恨むことはありません。自分を恨まなければなりません。誰かに「しなさい」と言うのではなく、私がしなければなりません。そうしてこそ、私たちが願った生きる所が生じるのです。
8伝道は、おなかのすいた人が御飯を求めるように実践しなければなりません。おなかがすいたときに御飯の貴重さが分かるように、そのような心をもってやってこそ、霊界からも協助して対象者ができるのです。本業としてしなければなりません。最も重要なものが信仰生活です。

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