礼拝アーカイブス



12月の礼拝

12月3日


天一国食口礼拝

主礼:蔡 東朴教会長
「 Vision2020勝利の為の 還元祈願礼式・礼拝 」


「 天一国經典天聖經 第七篇 地上生活と霊界 第三章 永生のための地上生活 第二節 霊界に行くための準備期間 P.759~760 」

8この地上でしている生活が、どれほど重要でしょうか。一回しかありません。瞬間ですが、一回しかありません。地上生活を永生と比較すれば、これは一点にすぎません。あまりにも短い瞬間です。肉身生活を越えて、霊界のために準備しなければなりません。常にそのような主流思想をもって中心に立ち、一切をコントロールし、一切を征服することができなければなりません。そのようにしなければ、個性完成ができません。
9水中生活で誤れば、地上生活をすべて台無しにします。実体世界、すなわちこの地で父母の前に生きる世界で誤れば、永遠の父母に侍る愛の世界が縮まり、台無しにするのです。ですから、地上世界がどれほど貴いかを知らなければなりません。ここで愛さなければなりません。父母に侍り、兄弟に侍り、国に侍り、愛しながら生きなければなりません。地上世界で和合して活動できる人とはどのような人かというと、互いにために生き、難しいことを自分がしようと、父母に代わって進み出る人です。そのような人が中心存在になるのです。あの世でも、高い天国に行く人は、そのような長子権、長女権の責任を果たした人です。
10偶然に物事が起きるのではありません。準備するにも、たやすい準備はありません。一生について見るとき、少年時代は青年時代のための準備時代だということを知っている人は、将来性があります。壮年時代は、老年時代のために準備しており、老年時代は霊界に行く準備をするのです。一生は、大宇宙的な人格を備えるために、一つの訓練過程を経ている修練期間であり準備期間です。
11永遠の出発は、自分が死んで始まるのではありません。永遠の出発は、自分がみ旨を知った瞬間から続きます。ここに一日のうちの瞬間でも、時間の関係において飛躍があったりくぼみが生じたりすれば、永遠は中断されるのです。ですから、私たちが生涯の路程を中心として、信仰の道を行くのですが、今年行けなければ来年に行き、来年行けなければ再来年に行く、このようにしてはいけません。一生をこのように生きていけば、その人は、み旨と一つになった一日の生活をしてみることが一生できずに死ぬでしょう。もしそのように生きれば、その人は天国に行けません。いくら自分が暮らしているその国が良いといっても、一日の勝利基準をもてない人が、どうやって天国に行くことができ、一年の勝利基準をもてない人が、どうやって永遠の世界に入ることができますか。これが問題とならざるを得ません。



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